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2020年、誰もが避けては通れなかった「孤独さ」との対峙。
ロックダウン中の今日、テイクアウトのみ許されたベーカリーへ行ったとき、
モルドバから移住してしばらく経ったという女性店員に「こんな時ですが気分は大丈夫?」と聞いた答えは、
「大丈夫じゃない、孤独に感じてる」
「一緒ですね」
そこで思ったことひとつ、
孤独な人が孤独らしく佇める、美しい世界だな、と。
孤独らしい顔を人に向けられる素敵な場所だと。
孤独を共有できるって良いことだな、と。
話は変わって、作品を世に生み出す人には憧れます。
中でも人間性に惚れるのは、ソングライターさんです。
こういう方って、多分孤独を抱えてきた人が多いと推測します。
モノを生み出すということは、人に理解されたいと思っていたらなかなかできない行為だと思うんです。
「数多の人からの共感=イイモノ」
の方程式は成り立たない。
理解はいらない、共感なんていらない、と振り切ってないとモノって生み出せないだろうな。
天才は孤独だっていうじゃないですか。
斯く言うわたしは、「理解なんてされなくて良いから自分を表現しよう」とは思うものの、
「結局は人は何を求めてるんだろう」、「自分の言葉が誰かの胸に響けば良いのに」、と共感を探っている、という矛盾だらけです。
それにしても、人が誰かを愛するのは孤独ありきだと思いませんか?
言ってしまえば、誰かの「孤独さ」に惹かれているのだと思いませんか?
「この人が夜眠りにつくまえ、ひとりで聴く曲が知りたい」
「あの人が淋しいとき、その感情から逃げ込むように観るその映画はなにか」
好きな人の孤独さを想って、夜ひとりで聴くその曲はなぜか格別に愛おしい。
隣で一緒に聴くその曲より、離れて「一緒に」聴くその曲から感じるのは「深い繋がり」。
『愛の不時着』で、遠く離れた主人公ふたりが、同じ時間に散歩するシーンがありました。
そのときに感じる「繋がり」は、きっとふたり肩を並べて歩くそれよりずっと強い。
わたしが音楽を生み出す人に憧れるのはつまりそういう理由なんだろう、と腑に落ちる。
もうひとつ、「孤独」と聞いて思うのは、
所詮人間なんてみんな孤独なんだから、お互い優しくすりゃ良いじゃん、ということです。
人と群がりたい、誰かといつも楽しそうにしているその人も、いわば誰もが知るスターだって蓋を開ければ孤独です。
人と戯れる人たちも、ただ孤独が人より一層苦手なだけの「孤独」です。
つまるところ、孤独を受け入れたか受け入れていないかの違いです。
言い換えれば、「孤独からその瞬間だけ気を紛らすことに成功した」だけということです。
人間何してたって大して変わらない。
大体人が抱く感情というのは何処にいても何をしていても同じです。
それなら、優しくしませんか。
強がらず、「孤独です」なんて顔をしていれば良いんです。
大体誰にだって助けを求める瞬間があり、その中には簡単に助けを求められる人もいれば、たまに「助けて」が言葉に出来ない人がいる。
そんな素振りを見せられない強い人、いや、もしかしたらそんな弱い人もいる。
もっとガードを緩めて良いよね、言葉にしたって曝け出したっていいよね、そうやって優しくし合えば良いんじゃないでしょうか。
こんなことを思った今日です。
そういうわたしは、今日も孤独です。
それで、同じように淋しそうな人と「よし、明日も笑っていようね」
と言い合って寝ます。
いいじゃないか、こんな良いものなら孤独さなんて抱き締めてしまっても。
さ、また新たな1週間、何処か孤独な皆さんにとって、どうか素敵なウィークになりますように。
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